『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ」とかいうインセル映画の感想を記す

こんにちは、もっさま(@mossamaguna)です。

 

本作は1970年代のドイツを震撼させたシリアルキラーを描いた作品です。前回観たミッドサマー然り、胸糞映画が続き少しげんなりしております。

 

あまり人にお勧めできない映画だと個人的に感じました。題材が題材なだけに、暴力的な描写が頻出します。特に女性の視点から見ると、非モテが剥き出しにする情動は耐えがたいものに写るかもしれません。

 

そのような描写を作品として純粋に楽しめられればいいのですが、『テッド・バンディ』や『ジョーカー』のような、ある種のカリスマ性や美学は欠片もなく、作品として昇華されているか疑問が残ります。無残な殺人が極めて無計画に繰り返されるだけとも取れます。

 

例の如く、ここから先はネタバレを交えつつ感想を書き連ねていきます。これからご覧になる方はご注意下さい。あらすじやフリッツの人物像は割愛します。

 

「世の中ね、顔かお金なのよ」

 主人公のフリッツ・ホンカは生粋の非モテ人間性に問題があるインセルだ。

 

先ず、彼の容姿はお世辞にも良いとは言えない。腫れて曲がった鼻、斜視、後退した生え際、不揃いな歯並び、きつい猫背、ドイツ人にしては小柄な体格と、マッチョな男性像からは程遠い。いつも同じ服を着ているし、それもお洒落とは言い難い。

 

それに加えて経済力もなさそうだ。『半地下の家族』もそうだが、どこに住んでいるかで経済力は見て取れる。フリッツの住処はアパートの屋根裏だ。天井が斜めになっていることもあり大柄なドイツ人には向かないが、小柄な彼からすると住み心地は悪くなかったのかもしれない。当然ながら、一般的に不便な分、家賃も安いのだろう。また、下の階の住人はギリシャからの移民だ。彼ら移民は、第二次世界大戦後のドイツの労働力を補う為に受け入れてきたガスト・アルバイター(ゲスト・ワーカー)だ。当時の時代背景を勘案すると、移民と居住区をいつにするドイツ人は貧困層に属すると推察される。

 

そして貧困層にはお決まりの酒と煙草である。フリッツが常飲するのはシュナップスという無色透明の蒸留酒で、そのアルコール度数は40度以上ある。フリッツはシュナップスをパブでも家でもパカパカ飲んでいる。重度のアルコール依存症なのだろう。ドイツ労働者の酒ビールも出てくるが、フリッツはあまり手を出していない。煙草も所構わず吸っている。ライターの火が点かず苦戦している時に、不運にも車に轢かれてしまう始末だ。『ジョーカー』の時も感じたが、最近は劇中で煙草を見ると昔はクールに写っていたのに、今や貧困の象徴に見えてくるから不思議なものである。

 

先の交通事故をきっかけにフリッツの心境に変化が起こる。次の仕事に就くにあたり、酒を断ち、行きつけのパブにももう行かないと硬く決意する。そして「これが最後だ」とシュナップスのショットを飲み干すのだった。

 

残念ながら、ダイエットと同じく「甘いものはこれが最後」や「明日から本気出す」といった類の誓いは大抵うまく行かないのが世の常だ。

 

フリッツは新たな職場でヘルガという女性と出会う。彼女が彼の誓いを破るきっかけを作り、人生の歯車を巻き戻す張本人なのである。

 

ヘルガが最も罪深く見える不思議

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罪深き女ヘルガ

私はこのヘルガという女性が本作の中でも最も罪深い人物に写った。いや、冒頭でいきなり娼婦の頭を切断するフリッツが救い難い極悪人であることは言うまでもない。不思議なことに、人生を変えようと決意するフリッツを、私は応援する気になっていた。感情移入していた。そして、その決意を無残にも打ち砕くきっかけを与えたヘルガに憤りを覚えた。

 

フリッツはおそらくヘルガに一目惚れしたのだろう。非モテは当たり前のコミュニケーションやちょっとした親切で簡単に恋に落ちる。自宅に帰ると、殺した娼婦のものと思しき帽子に着いたアクセサセリーを乱暴に引き千切り、制服に着けてめかし込む。明くる日、バッチリ決めたフリッツはヘルガの居る更衣室へ向かう。ところが扉を開けるとそこには男性が居り、ヘルガの亭主だという。

 

ここでフリッツの心は打ち砕かれたはずだ。オマケにヘルガの誕生日を祝うどんちゃん騒ぎが始まり、フリッツの目前で2人は踊り狂い、身を寄せ合う始末だ。駄目押しにヘルガの亭主は酒を勧める。しかし、フリッツは断固として断る。本当によく耐えたと思う。

 

後日、ヘルガが急にフリッツの更衣室を訪れる。彼女は亭主の体たらくぶりと自分の人生に対する不満を吐露し、涙を流す。ヘルガが見せてしまった、このイノセント加減と女の弱み。非モテ非モテたる所以やその業を一切わかっていない。これでフリッツは頗る動揺したに違いない。

 

極め付けに、ヘルガはフリッツに酒を勧める。パブで老年の娼婦に酒を勧めても、容姿を理由に断られていた男が、恋い焦がれる女性から、しおらしい姿で、逆に酒を勧められる。この辺りを罪深いとあえて言いたいのだ。This is not consentは非モテには通用しない。不都合な事実だ。

 

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This is not consent

 

フリッツの承認欲求は溢れんばかりに満たされたはずだ。断る理由はない。ついに酒に手を出してしまう。これをきっかけにヘルガをレイプする寸前の暴力を働き、愛飲していたシュナップスを家で飲み始めるなど、救い難いフリッツが戻ってくる。

 

ヴィリーの役割は何だったのか

 さて、序盤と終盤のみ登場する人物にペトラとヴィリーが居る。ペトラはフリッツが一目惚れした女子高生である。ヴィリーもまたペトラに気がある同級生で、出自の良いお坊っちゃんである。

 

思うに、ヴィリーは「世の中ね、顔かお金なのよ」のアンチテーゼなのではないか。

 

序盤に登場した時は、ペトラの気のない反応からして、女の子とは無縁であったフリッツの青年時代を想起させる役割だと思った。しかし、物語の終盤ではちゃっかりペトラと二人で例のパブを訪れている。

 

美人を連れ立って気が大きくなったのか、ヴィリーはトイレで小便をしながら常連客に挨拶をかます。これが災いし、その常連客から小便を浴びせられる。ヴィリーはペトラそっちのけでトイレに篭ってしまう。

 

ひとり店内で待つペトラはナンパにあうも適当にあしらう。食い下がるナンパ男に嫌気しトイレに向かい、ヴィリーに帰ろうと声をかける。しかし、篭って出てこないヴィリーから「先に帰ってろ」と言われてしまう始末。ヴィリーもまた非モテの業を背負っている。

 

フリッツと比較すれば、ヴィリーはお金もあるだろうし顔もそこまで悪くないように見える。しかしそれだけではダメなのだ。では何が足りなかったのか。それは相手に屈しない強い体なのか、はたまた精神なのか。それとも「調子に乗ったら怖い人にオシッコかけられちゃったテヘペロ」と情けない自分をさらけ出せる勇気なのか。

 

何れにせよ、残虐性で見え難くなったフリッツの非モテ像とは対照的に、ヴィリーは日常の風景から非モテ像を見せてくれている。

 

 

 

最後になるが、全ての悪事が明るみになり警察に呼び止められるフリッツが放つセリフが不可思議だ。

 

“俺がそう言ったのならそれが正しいだろう”

 

なぜ嘘をつかなかったのか?なぜ弁明しなかったのか?自己中心的な子供ならそうしたはずだ。それとも、無計画な殺人よろしく、ここでも頭が回らずに脊髄反射で言い放ってしまったのか。謎である。